- なぜ、お坊さんは問題ばかり起こして、不祥事が絶えないんだろう?
- 問題を起こすお坊さんって、どんな人たちなの?
テレビでは毎日いろんなニュースが放送されています。
その中でも、ときどき『容疑者が僧侶』という事件が発生しています。
あなたは、そのような放送を観て、
と思ったことはありませんか?
じつは、お坊さんにはタチの悪い人が多いんですよね。
そして、不祥事を起こすのはタチの悪いお坊さんなんです。
では、なぜお坊さんというのはタチが悪く、いつも不祥事を起こしてしまうのでしょうか?
理由はいくつかありますが、共通点としては「自分は偉い」と勘違いしているお坊さんが不祥事を起こすということです。
この記事では、お坊さんが『なぜ勘違いをして不祥事を起こすのか?』ということについて、同業者として詳しく解説していますので、ぜひ最後まで読んでみてください。
なぜ、お坊さんは問題ばかり起こして、不祥事が絶えないのか?
私たち人間は弱いので、
- 欲望に負けてしまう
- 感情を抑えきれずに、我を忘れてやってしまう
ということがあります。
ですから、毎日のように不祥事が起きていますし、その中には【お坊さん】が関係することもあります。
ここ数年だけでも、
- 長野県にある有名寺院のトップの僧侶によるセクハラ事件
- 京都府の有名寺院に在籍する僧侶による強制わいせつ事件
- 奈良県の有名寺院のナンバー2の僧侶による強制わいせつ事件
- 愛媛県松山市での僧侶による女性刺殺事件
- 京都府の有名寺院での残業代の未払い
- 寺の中で、先輩のお坊さんが後輩のお坊さんに対してパワハラや暴行をする事件
- 体験修行に来ている少年への暴行事件
といったような不祥事が起きています。
お坊さんがこんなに不祥事を起こすなんて、何のために修行をしてきたんでしょうね?
同じ僧侶としてホンマに恥ずかしいし、申し訳なく思いますよ。
なぜいつもお坊さんは不祥事を起こしてしまうんでしょう?
まず、当然ながら、お坊さんの全員が不祥事を起こすわけではありません。
お坊さんは、
- 信者さんの話にちゃんと耳を傾けて、自身の修行にも一生懸命に取り組む【真面目なお坊さん】
- 自分のことだけを考えて欲望を抑えられない【タチの悪いお坊さん】
のどちらかに分けられます。
そして、不祥事を起こすのは決まって『②自分のことだけを考えて欲望を抑えられない【タチの悪いお坊さん】』の方です。
多くの【タチの悪いお坊さん】には「自分は偉い」と勘違いをしているという共通点があります。
つまり「自分は偉い」と勘違いしているお坊さんが不祥事を起こすということなんです。
じつは、僕の知っているお坊さんが以前に暴行事件を起こしてしまい、それがテレビで放送されました。
そのお坊さんもやはり「自分は偉い」と勘違いをしていましたよ。
じつは、お坊さんというのは「自分は偉い」と勘違いをしやすい環境にあるんですよね。
ですから、お坊さんは他の仕事をしている人に比べると、圧倒的に【人間性に問題がある】という人が多いです。
お坊さんが「自分は偉い」と勘違いをする理由
不祥事を起こすお坊さんは、なぜ「自分は偉い」と勘違いをしてしまうのでしょう?
その理由は、お坊さんという仕事の独特な環境にあります。
具体的に言うと、
- 他の仕事をしたことがない
- みんなから「先生」と呼ばれる
- 世間から『お坊さん=特殊な人』と思われている
からです。
他の仕事をしたことがない
現在のお寺のほとんどは『世襲制』によって継承されています。
これは、明治時代に出された【太政官布告】によって、それまでは許されなかった『お坊さんの結婚』が黙認されたからです。
お坊さんの結婚については、『お坊さんは結婚をしてはいけないのか。お寺はどうやって継承されるの?』の記事で詳しく解説しています。
お寺の継承が『世襲制』となることによって【お寺で生まれ育ち、そのまま他の仕事を経験することなくお坊さんとして生きていく】というお坊さんが出てくるわけです。
そうなると、そのようなお坊さんは【ずっと世間一般の常識を知らないまま、特殊な環境で過ごしてしまう】ことになります。
世間の感覚とズレたまま住職となり、自分の好きなようにしているうちに、いつしか「自分は偉い」と思い始めます。
つまり、お坊さんの世界から出ることなく、
他の仕事をしたことがない
というのが勘違いをしてしまう原因なのです。
さらに、会社のように他の人から《悪いところを指摘される》ことがないので、ずっと勘違いをしたままです。
ですから、周りの人たちから「あそこの寺の坊主はちょっとオカシイよね・・・。」と言われてしまうんですよね。
お坊さん同士でもよく言っているんですけど、『坊主の常識は世間の非常識』なので十分に注意しなきゃいけないのです。
ただ、実際のところ、お坊さんの70%は【お寺の仕事】だけでは生活ができないので、ちゃんと他の仕事もしています。
ですから、70%のお坊さんは【世間一般の常識】を知っているはず。
もちろん、残り30%のお坊さんの全員が【世間とズレている】わけではありませんが、要注意であることには変わりません。
みんなから「先生」と呼ばれる
お坊さんというのは、いくつか呼び方があります。
例えば、
- 和尚(おしょう)さん
- 住職さん
- 方丈(ほうじょう)さん
- ○○寺(院)さん
などです。
しかし、葬儀社・仏具店・仕出料理などの業者さんは違う呼び方をしています。
彼らはお坊さんのことを『先生』と呼ぶのです。
これは、僕も同じように呼ばれています。
僕の親世代の人からも「○○先生」なんて呼ばれてしまい、あまりに恐れ多いので、
とお願いをするんですけど、業者さんは、
と言って聞いてくれません。
でも、この『先生』というのは好ましくないんですよね。
だって、『先生』ってなんだか【自分より上の立場の人】か【尊敬する偉い人】に対しての呼び方だと思いませんか?
それを僕より若いお坊さんに対しても「先生」と呼んでいるのですから、そりゃあ勘違いもしちゃいますって。
もちろん、70%のお坊さんは「気を遣ってそう呼んでくれているんだな。」って気づきますよ、普通はね。
でもほら、残り30%のお寺のことしか知らない【世間の非常識】の中にドップリとつかっているお坊さんの場合は・・・ねぇ?
つまり、
みんなから「先生」と呼ばれる
ということもお坊さんが勘違いをしてしまう原因の1つなんですよね。
僕たちお坊さんは一般社会においては非常に未熟で、とても「先生」なんて呼んでもらえるような立場ではないんです。
ということで、お坊さんに対しては、できるだけ名前で呼んであげてくださいね。
世間から『お坊さん=特殊な人』と思われている
あなたは、お坊さんと聞くと【厳しい修行をしてきた人】というイメージがありませんか?
そのようなイメージを持つ人は多くて、そのせいでしょうか、お坊さんを『特殊な人』だと思っている人もいるのです。
さらには、お坊さんは【幽霊が見える】とか【除霊ができる】みたいに思っている人さえいます。
でも、僕は20年以上お坊さんをしていますが、幽霊を見たこともありませんし、除霊なんかできません。
というか、ほとんどのお坊さんにはそんな能力(霊感?)なんてないのですが、なぜか『特殊な人』だと思われてしまうのです。
僕も昔、初対面の人に自分がお坊さんであることを伝えると「え~っ!お坊さんなの!?」ってすごい反応がありました。
しかし、その、
世間から『お坊さん=特殊な人』と思われる
というのもお坊さんが勘違いする原因の1つなのです。
やっぱりみんな、お坊さんをしていると聞けば珍しいのでしょうね、最初のうちは興味を持って接してくれるんです。
それで、みんなが興味をもってくれるもんだから、
自分はみんなの注目を集められる人間なんだ!
みたいな勘違いをしてしまうのです。
お坊さんという生き方は確かに少し特殊かもしれません。
しかし、特殊であることが決して【偉い】わけではないのです。
それなのに、「自分は特殊な人間だから偉い」と勘違いしてしまうお坊さんが多いんですよね。
まとめ:「自分は偉い」と勘違いしているお坊さんが問題を起こす
お坊さんにはいろんな人がいます。
信者さんの話にちゃんと耳を傾けて、自身の修行にも一生懸命に取り組む【真面目なお坊さん】。
自分のことだけを考えて、欲望を抑えられない【タチの悪いお坊さん】。
同じお坊さんでも人によって全然違うのです。
そして【タチの悪いお坊さん】は、しばしば問題を起こします。
ここ数年だけでもお坊さんによる不祥事が多発しているんですよね。
不祥事を起こすお坊さん達には、
「自分は偉い」と勘違いしている
という共通点があります。
これは、ずっと狭い世界で生きており、業者さんからは「先生」なんて呼ばれ、世間からも『特殊な人』のように思われていることが原因です。
しかも、長い年月をかけて勘違いをしているので、急に考えを変えることなんてできないんですよね。
だから本当にタチが悪い。
今回の記事で紹介したように、お坊さんの中には【タチの悪いお坊さん】はたくさんいます。
しかし、そうでない【真面目なお坊さん】だってたくさんいるんです。
お坊さんの不祥事がメディアで取り上げられるたびに【お坊さんに対するイメージ】が下がり、そのせいで真面目に活動しているお坊さんが迷惑しています。
もしも、あなたの周りに【タチの悪いお坊さん】がいたら、可能であればすぐに距離を置いて一切の付き合いを解消してください。
これを多くの人ができれば、みんなが嫌な思いをせずにすみますし、時間はかかりますが【タチの悪いお坊さん】も自然に淘汰されていくことでしょう。
真面目なお坊さんが生き残り、以前のように『多くの人から信仰される仏教』に戻ってほしいと願うばかりです。
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