- お坊さんは肉を食べちゃいけないんでしょ?
- 肉を食べているお坊さんは『お坊さんとして失格』なのでは?
- お坊さんに出す料理は肉や魚を入れない方がいいの?
お葬式や法事のときには参列者みんなで食事をしますよね?
そのような食事の席にお坊さんの僕もご一緒することがありますが、ありがたく料理を頂いていると必ず、
(あっ、お坊さんなのに肉を食べるんだ・・・。)
という冷たい視線を感じます。
はい、そうです、お坊さんは日頃から肉を食べています。
じつは、お坊さんであっても【3つの条件を満たす肉】であれば肉食が許されているんです。
お坊さんが堂々と肉や魚を食べている理由が分かりますので、ぜひ最後まで読んでみてください。
お坊さんは肉を食べます
食事をしているお坊さんの姿を見るのは、
- 通夜振舞い(お通夜の後の食事)
- 精進落とし(お葬式の後の食事)
- お斎(回忌法要の後の食事)
のときでしょう。
これらの食事の席で、お坊さんは普通に『肉』を食べていませんでしたか?
一般的にお坊さんといえば【肉を食べてはいけない立場の人】というイメージがありますよね。
多くの人は、【生き物を殺してはいけない】という仏教の決まりによりお坊さんが肉や魚を食べることはタブーということをご存じです。
ですから、ありがたく料理をいただいている僕に対して、
という冷たく厳しい視線が向けられます。
しかし、もうお気づきかと思いますが、お坊さんは日頃から当たり前のように肉を食べています。
たまに『お坊さんは肉を食べていない』と本気で思ってる人がおられますが、決してそんなことはないんですよ。
とりあえず、原則としてお坊さんは肉や魚を自由に食べられるわけではありません。
しかし、じつは『3つの条件』を満たした肉であれば、お坊さんでも食べることが許されているんです。
この救済のような『3つの条件』があるおかげで、私たちお坊さんでも肉を食べることができますので、先輩のお坊さん達には感謝しています。
お坊さんなのに、なぜ肉を食べるのか
ここからは、お坊さんが肉を食べる理由を【お坊さんの本音】と一緒に書いていきます。
『三種の浄肉』という考え方
お坊さんが平気な顔して【肉を食べている】のは、先ほどから言っているように、その肉が『3つの条件』を満たした肉だからです。
この『3つの条件を満たした肉』のことを『三種の浄肉(さんしゅのじょうにく)』といいます。
では、『3つの条件(三種)』とはどのようなものかというと、
- 【見】:その動物が殺されるところを見ていない
- 【聞】:その動物が、自分に供されるために殺されたと聞いていない
- 【疑】:その動物が、自分に供されるために殺されたという疑いがない(=わからない)
の3つです。
これら3つの条件をクリアした肉なら、お坊さんも食べることができる【浄らかな肉】だと認定されるのです。
例えば、
私が、法事後の食事に同席したとき、そこに施主の手作りである【鶏の唐揚げ】が出された。
とします。
そして、施主が、
と唐揚げをすすめてくれました。
この場合であれば、私はありがたく唐揚げを食べることができるんです。
なぜなら、『唐揚げ』となっている時点で、私はどんなニワトリがどのようにして殺されたのかを見ていません。
つまり、《その動物が殺されるところを見ていない》ので、1つ目の【見】の条件をクリアしました。
次に、施主は私に対して「どうぞ、よかったら召し上がってくださいね。」としか言っていません。
つまり、《私が食べるためにその動物が殺されたと聞いていない》ので、2つ目の【聞】の条件もクリアしました。
そして、出された唐揚げは、基本的には施主の家族や他の参列者に対して用意されたものであり、私だけのために用意されたものではないと推測できます。
だから、私の分の唐揚げは、あくまで【ついで】なんです。
つまり、《私が食べるためにその動物が殺されたという疑いがない》ので、3つ目の【疑】の条件をクリアしました。
このようにして、無事に『3つの条件』をクリアしていたので、私は唐揚げを美味しくいただくことができるのです。
逆に、もしも施主に、
なんて言われたらアウト。
『お坊さんのために』と聞いてしまった時点で、【聞】と【疑】をクリアできなくなってしまうのです。
せっかく作ってくれたおいしそうな『鶏の唐揚げ』が、ちょっとした一言で【お坊さんが食べてはいけない唐揚げ】に変化してしまうんです。
私は『若鳥の唐揚げ』が大好きなので、施主が作ってくれた『鶏の唐揚げ』をぜひとも食べたい。
だから、お願いします。
お坊さんに肉料理を出してくださる場合は、そっと一言「よかったら召し上がってくださいね。」とだけおっしゃってください。
せっかく出してくれたものはありがたく頂くのが礼儀
お坊さんは『三種の浄肉』でないと食べてはいけません。
とはいえ、です。
せっかく施主が用意してくれた料理を、「あっ、コレは『三種の浄肉』じゃないから食べられません。」なんて言うようなバカなお坊さんはいません。
振舞ってもらう料理は、施主の【布施と供養の心】であって【感謝の気持ち】の表れでもあるわけです。
それを拒否するなんて施主に対して非常に失礼です。
『三種の浄肉』以外の肉を食べて困るのはお坊さんだけであって、施主にとっては何も関係ありません。
出してくださった肉料理を拒むということは「あなたが出した料理よりも、お坊さんとしての立場を守ることの方が大事なんです。」と言っているのと同じ。
たしかに、お坊さんとして『あるべき姿』を追い求めるのは素晴らしいことです。
でも、お坊さんとして生きていられるのは、たくさんの人から『布施』を頂いているからです。
施主が出してくれた『布施』は、ありがたく全部頂くのがお坊さんとしての礼儀ですよ。
私はべつに「三種の浄肉なんてくだらねぇ。」と言ってるわけじゃありません。
大事にしなきゃいけないのは、お坊さんの立場じゃなくて『施主の気持ち』の方だと思うんですよ。
だから、私は施主に出してもらったおいしそうな肉料理は全部頂きます。
お坊さんだって栄養の摂取が必要
ここまでいろいろと言ってきましたが、お坊さんが肉を食べるのは動物性の栄養を摂取するためでもあります。
お坊さんだって人間ですから、動物性の栄養を摂取する必要がありますし、そんなに植物ばっかり食べていられません。
というか、植物にも『命』があると思いませんか?
一生懸命に育とうとしているトマトを、人間が食べるために無残にも収穫しちゃうんですよ?
これは【不殺生戒】に違反しないのでしょうか。
私は何かオカシイこと言ってますか?これって屁理屈ですかね?
私たち人間は、動物も植物も、たくさんの『命』を食べないと生きていけないんです。
だから、肉だ野菜だと区別してないで、すべての『命』に感謝して食べなきゃダメ。
施主が振舞ってくれた料理が野菜類だけでも、そこにある『命』を心から感謝して食べます。
そして、たまたま肉料理であっても、そこにある『命』を心から感謝して食べるべきです。
感謝の気持ちを持つことは、仏教において基本中の基本。
だから、食べさせてもらえるすべての『命』に感謝して、おいしく肉料理を食べさせていただきます。
まとめ:お坊さんも感謝の気持ちで肉を食べます。
お坊さんといえば、『肉を食べない』というイメージを持つ人は多いです。
でも、実際はお坊さんだって肉を普通に食べています。
お坊さんは『三種の浄肉』という【3つの条件を満たす肉】であれば食べることを許されているんです。
3つの条件を満たす肉とは、
- 【見】:その動物が殺されるところを見ていない
- 【聞】:その動物が、自分に供されるために殺されたと聞いていない
- 【疑】:その動物が、自分に供されるために殺されたという疑いがない(=わからない)
という肉です。
ですから、できれば「あなたのために用意しました。」とは言わないでほしいのです。
それを聞いてしまったら、その瞬間に【三種の浄肉】ではなくなってしまい、せっかく出していただいたのに、お坊さんはその肉を食べることができません。
お坊さんへ肉料理を振舞う際には、「こちら、よかったら召し上がってくださいね。」とだけ言ってもらえませんか?
とはいえ、実際のところは、振舞ってくださるのであれば、肉でも野菜でも何でもいただいています。
あなたが出してくださった料理を、心から感謝しながらすべていただきます。
というわけで、またおいしいお肉、よろしくお願いしますね。
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