知らぬ間に大損をしている!?人を見た目で判断してはいけない

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人を見た目で判断しちゃダメ!

私たちは無意識のうちに人を『見た目』で判断してしまいます。

たしかに見た目はその人を知る手がかりになりますが、あくまでその人の一部にすぎません。

見た目にとらわれると、その人の重要な本質を見落としてしまいます。

この記事では【人を見た目で判断することの危うさ】について例を挙げて解説しています。

人だけでなく物の見方も変わるかもしれませんので、興味があれば最後まで読んでみてください。

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有名な僧侶『一休さん』の話

あなたは『一休宗純(いっきゅうそうじゅん)』という臨済宗のお坊さんをご存知ですか?

僕と同年代(アラフィフです)であれば『一休さん』というテレビアニメをご覧になったことがあるかもしれませんね。

「慌てない慌てない、一休み一休み」というセリフが有名で、主人公の一休さんは可愛らしい小僧さんです。

しかし、実際の一休さんは無精ひげを生やしており、見た目は完全に『そこら辺にいるおじさん』なんですよね(臨済宗のお坊さん達、ごめんなさい)。

そんな一休宗純の【見た目】にまつわる話があるので紹介します。

ある日、一休さんのもとへ京都にある大地主の家から使いの男がやって来ました。

使いの男が「明日、私が仕えている旦那様の家で法事をしていただきたいのです。」とお願いすると、一休さんはこれを快諾しました。

「ありがとうございます、旦那様もお喜びになることでしょう。」と一休さんに御礼を言い、使いの男は帰っていきました。

その日の夕方、法事を依頼した大地主の家の前に、泥で汚れたボロボロの服を着た男が現れました。

その男は、門の前にいた使用人に「どうぞ、お恵みを。」と言って手を差し出しました、つまり物乞いです。

使用人は「お前にやる物などない、あっちへ行け!」と言いましたが、その男は「どうぞ、お恵みを。」さらに物乞いを続けてその場を離れようとしません。

そんなところへ、奥から家の主人が出てきてボロボロの服を着た男を見ると「なんだお前は、おい、早くこいつを追い返せ!」と使用人に言いました。

使用人は男を蹴り倒して門を閉めてしまいました。

さて、翌日、約束したとおり一休さんがきらびやかな袈裟を着て大地主の家にやって来ました。

家の主人は「お待ちしておりました、どうぞ中へお入りください。」と言って、一休さんを家の中へと促します。

しかし、一休さんは中へ入ろうとしません。

家の主人は「どうされましたか?中へどうぞ。」と再度促しましたが、やはり一休さんは入ろうとしないのです。

そして、一休さんは「私はここで結構です。私はここにいるのが身分相応なんです。」と言ってその場に座りました。

家の主人がその理由を訊ねると、一休さんは言いました。

「昨日、ボロボロの服を着た男がここへ来ませんでしたか?じつは、あれは私です。昨日はさんざん拒絶をされて蹴り倒されたのに、今日は手厚い待遇です。この違いは一体何なのでしょう?私が着ているのがボロ切れではなく、きらびやかな袈裟だからですか?」

これを聞いた家の主人は青ざめました。

一休さんといえば将軍や大名から尊敬されるお坊さん、それを相手に非礼極まりないことをしたわけです。

一休さんは着ていた袈裟を脱いでニッコリと笑い、

「今日の法事はこの袈裟にやってもらってください、その方が功徳があるでしょうから。」

と言って、家の主人に袈裟を手渡すとそのまま帰ってしまいました。

この話は、人を見た目だけで判断してしまうことの愚かさと危うさを教えた話です。

海外にも似たような話がある

じつは、一休さんの話と似たような話が海外にもあるので紹介します。

ある日、高級レストランにホームレスの男がやって来ました。

ホームレスの男は、店の従業員に「もう何日もまともに食べていないので、何か食べ物を分けてくれませんか?」と頼みました。

すると、従業員は「ここは高級レストランだ、お前みたいな奴が来るところじゃない。」と言って拒否をします。

男は「ほんの少しでもいいのでお願いします。」と言って食い下がりますが、従業員は「だめだ、料理を食べたければお金を持ってこい。」と言って男を追い返しました。

その後、別のレストランに同じホームレスの男がやって来て、同じように店の従業員へ「もう何日もまともに食べていない、何か食べ物を分けてくれませんか?」と頼みました。

すると、従業員は「少々お待ちください。」と言って店の中へ入っていき、しばらくすると戻ってきました。

そして、「お席のご用意ができました、どうぞお入りください。」とたくさんの料理を用意してくれたのです。

驚いた男は「こんなに頂いてもよろしいのですか?」と尋ねました。

従業員は、

「じつは、私も昔お金がなくてホームレスだったことがあり、あなたの気持ちはよく分かります。困ったときはお互い様です。オーナーには許可をもらっていますので、どうぞ召し上がってください。」

と言いました。

それを聞いた男は涙を流し、何度もお礼を言いながら食事をしました。

じつは、このホームレスの男、本当はホームレスではありません。

この男は、『レストランの評論家』として有名な人物だったのです。

ホームレスに変装して、料理だけではなく店の従業員が他人に対してどのように接しているかも調査していたのです。

後に、この話が広まり、男に食事を提供したお店は大きく発展したそうです。

まとめ

本記事で紹介した2つの話は、いずれも人を見た目で判断してはいけないという内容です。

仏教には《物事を正しく見る》ことの重要性を説いた『正見』という教えがあります。

しかし、他人のことを見た目にとらわれず正しく判断するのは難しいものです。

ならば、他人ではなく自分を正しく見るようにすればよいと思います。

他人を見て「怖そう」とか「優しそう」と思ったときは、そこでまず『見た目で判断してしまった自分』を自覚することが大事です。

その自覚が、自分を正しく見ることに繋がります。

そうすると、相手に対する見方が変わって、良くも悪くも相手の本当の姿が見えてくると思います。

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