お坊さんをしていると、よく初対面の人から「お坊さんは結婚しちゃダメなんでしょ?」と質問されます。
先に結論を言いますが、日本のお坊さんは結婚をしても大丈夫です。
たしかに、他の国では僧侶が結婚するなんてことはないのですが、日本のお坊さんは結婚が許されているんです。
この記事では、
- お坊さんが結婚してもよい理由
- お寺がどのようにして継承されるのか
- お坊さんが結婚することに対する僕なりの『言い訳』
について書いています。
お坊さんは結婚をしてはいけないの?
日本では、多くのお坊さんが結婚をしています。
あなたと同じように、お坊さんも素敵な人と知り合って、燃えるような恋愛をして、永遠の愛を誓って一緒になったんです。
私がこんなことを言うと、あなたはきっと、
と思うことでしょう。
そうですね、そう思うのが普通です。
たしかに、お坊さんには『異性と肌を触れ合い、交わってはいけない』という重大な決まりがあります。
でも、結婚をしたら『伴侶とまったく交わらない』というのはほぼ不可能なので、そうなると重大な決まりを破ることになってしまうわけです。
では、なぜ日本のお坊さんは重大な決まりを破ってまで結婚をするのでしょう?
その理由は、
- 国がお坊さんの結婚を許した
- 結婚生活も良い修行になる
からです。
国がお坊さんの結婚を許した
じつは、日本では国からお坊さんに対して「結婚してもいいよ。」という許しが出ているんですよね。
1872年(明治5年)4月25日に発令された太政官布告133号から僧侶の妻帯や肉食が認められるようになったんです。
内容は以下のとおり。
『自今僧侶肉食妻帯蓄髪等可為勝手事但法用ノ外ハ人民一般ノ服ヲ着用不苦候事』
引用:『法令全書』内閣官報局刊より
これは要するに、
今後、お坊さん(僧侶)は肉を食べてもいい、妻帯してもいい、髪を普通に伸ばしてもいい、法用(=法要)のとき以外は一般的な服装でもかまわない、もう勝手にして。
という意味です。
国がお坊さんに対して、
と言ったわけですね。
明治政府は『国家神道』を確立させたかったので、そこに仏教があるとジャマだったのでしょう。
だから、結婚を許可することで僧侶を骨抜きにし、仏教の勢力を抑えたかったのです。
そして、当時のお坊さん達は、国の狙いどおり、
「えっ、本当に!?よっしゃー!!とりあえず法的には結婚が許されたわけだし、さっそく女性を口説きに行こう。」
となりました。
国から結婚の許しを貰えたので、さっそく結婚してしまうお坊さんが出てきます。
そうなると、もう後はドミノ倒しのごとく多くのお坊さんが結婚をしました。
こうして、いつしかお坊さんの結婚は当たり前のことになり、今でもお坊さんは普通に結婚をしているんです。
・・・やっぱり納得できないですか?
そうですよね、根本的な話ですが【異性と交わってはいけない=結婚してはいけない】と定めたのは『お釈迦様』であって『国』ではありません。
だから、たとえ国が結婚を許したとしても、お坊さんの本来の目的である【悟りを求めるため】に自分の意志で結婚をしなければいいだけの話です。
しかし現実は、ほとんどのお坊さんが【結婚する】ことを選びました。
これに対して、
と批難する人もいました。
批難する人の気持ちはわかりますし、言っていることは『正論』です。
その『正論』はお坊さん側もわかっているんですけど、日本のお坊さん達は【独自の手段】で仏道修行をすることにしたんです。
結婚生活は良い修行になる
お坊さんにとって結婚生活は良い修行になりますので、個人的にはお坊さんの結婚に賛成です。
あなたに1つ質問します。
結婚生活って意外に大変だと思いませんか?
寝ても覚めても考えてしまうくらい大好きな人と結婚したんだから、きっと『夢のような幸福な暮らし』が待っている、結婚初期はそんなふうに思いませんでしたか?
もちろん、大好きな人と一緒にいられるので『幸福な暮らし』には違いないのですが、実際には【生活】という厳しい現実が待っています。
基本的に結婚生活は【幸せなこと】がたくさんあります・・・と言っておきます。
しかし、現実の結婚生活には【苦労すること】も山ほどあります・・・と、ここは強調しておきます。
夫婦間の問題、子育ての問題、仕事の問題、家庭の将来の問題、親の介護の問題など、喜怒哀楽が入り混じり、理想と現実の間で自分自身と葛藤しながら生きていくんです。
そこで、あなたに何か家庭の悩み事があったとしましょう。
その悩み事についてお坊さんに相談するとしたら、
- 結婚をしているお坊さん
- 結婚をしていないお坊さん
のどちらに話を聞いてもらいたいですか?
きっと、結婚しているお坊さんに話を聞いてもらいたいと思いますよね。
お坊さんの仕事は、お経を読んだり説法をすることだけではなく、悩みを抱える人に寄り添って話を聞いてあげることも大事。
そんなときに、結婚生活の苦労を知らないお坊さんが既婚者の気持ちにしっかりと寄り添うことができるでしょうか?
そんなの無理ですよ、既婚者の気持ちは既婚者にしか理解できないですから。
だから、私はお坊さんは結婚してもいいと思うんですよね。
結婚したら、良いことも悪いことも本当にいろいろあり、そのたびに心から喜んだり、さんざん悩んだりしますよね。
その経験があるからこそ、既婚者の悩みを深く理解でき、適切な《解決策の提示》や《声がけ》ができるんです。
宗教の基本は、どうすれば幸せに穏やかに生きることができるかを考えて、それを追求していくこと。
結婚をせずに黙々と修行を続けることもいいと思いますよ、それはあえて大事なものを捨てることで『真の幸福』を追求していくスタイルですから。
反対に、結婚をして、結婚生活の中で多くの人が求める『真の幸福』を理解し、それを追求していくことだって立派な修行。
言ってみれば、結婚生活の中で悟りを求めていく【日本仏教独自の修行方法】です。
結婚しているからこそ見出せる真実があり、それは悟りを得るために重要なことです。
お寺はどうやって継承されるの?
あなたは日本のお寺がどのようにして受け継がれているかをご存じですか?
昔のお寺にはたくさんの弟子がいて、その中でも一番優秀な弟子がそのお寺の住職になっていました。
しかし、現在の日本のお寺は基本的に『世襲制』です。
つまり、ほとんどのお寺の住職は【結婚】をしており、なおかつ【子ども】までいるわけですよね。
ということは、子どもが実子であれば、その住職は確実に【異性との交わりを禁ずる】という決まりを破っている。
でも、日本の仏教はそれを『黙認』しています、なぜならそれが【日本仏教独自の修行方法】だから。
とはいえ、【世襲制】にはメリットとデメリットの両方があります。
世襲制のメリットは、
- 比較的安定してお寺を維持できる
- 檀家さんにとっては【顔馴染みの人】が継ぐので安心できる
ということです。
お寺にお墓を持っている人(家)のことを『檀家(だんか)』といいます。
檀家は、お寺に【住職】がいるから安心して自分のお墓の管理を任せられるのです。
それが、もしも住職がいなくなってしまったら、お墓の管理や先祖供養をする人がいなくなります。
実際に、人口の少ない地域では【住職不在のお寺】がたくさんあり、そのようなお寺の檀家は「自分の家のお墓はどうなってしまうんだろう?」と心配しているんですよね。
その点、世襲制なら、住職に子どもがいればとりあえず次代の住職の候補がいてくれますので、檀家にとって大きな安心材料になります。
また、檀家のほとんどは地元の人達で、自分の家のお墓があるお寺なのに『どこの誰だか知らない人』が住職になるのはイヤなんですよね。
でも、【住職の子ども】なら小さい頃から知っていますから、その子どもが次の住職になってくれたら【顔馴染みの人】なので安心できます。
このように、『比較的安定してお寺を維持できる』ことや『顔馴染みの人がお寺を継ぐので安心できる』ことが世襲制のメリットです。
しかし、デメリットもあります。
それは、住職としての資質が不十分な人でもお寺を継承してしまうということです。
住職の中には「この人の考え方は危険だ、この寺の檀家は災難だな。」と思うような明らかに《住職として不適切》という人もいます。
しかし、住職としては我が子に寺を継がせたいので、資質が不十分でもそのまま次の住職にしてしまうのです。
そうなると、被害を受けるのは檀家の方で、その後は悲惨です。
檀家に対する横柄な態度はもちろんのこと、葬儀社ともトラブルを頻繁に起こします。
最悪の場合は、刑事事件まで起こしてしまうんです。
でも、安心してください、あまりに問題行動が多いようならお寺の住職を『解任』できますから。
じつは、檀家が力を合わせれば、問題ばかり起こす住職を寺から追い出すことは可能なんです。
住職の解任を希望する旨の署名を集め、その宗派の本山へ提出するんです。
すると、本山には『審査会』みたいな機関があって、その寺の住職から聴き取りをするなどをして、実態調査をします。
それで、住職の非が認められると、厳重注意などもありますが、必要に応じて【僧侶の資格を取り消す】という処分も出されます。
僧侶としての資格を失えば、住職は一般人となるため、寺に関与することはできません。
ですから、どうしようない人が住職となってしまった場合、解任することは可能だと知っておくことは大事ですね。
このように世襲制にはメリットとデメリットの両面がありますが、圧倒的にメリットの方が大きいのが現実なのです。
まとめ:日本独自の仏教なので、お坊さんの結婚が許されている。
お坊さんは本来なら結婚してはいけません。
結婚するといろんな執着に縛られて【悟り】から遠のいてしまうので、悟りを求める立場の僧侶が『結婚』をするなんてあり得ないのです。
でも、明治5年に国から結婚の許しが出てからというもの、日本の多くのお坊さんは結婚をしています。
今の日本にあるのは『日本独自の仏教』です。
私たち日本のお坊さんは、結婚をすることにより『日本独自の仏教』で悟りの境地を目指し、日本の文化に合わせてお釈迦様の教えを伝えています。
結婚生活って夢のような幸福ばかりじゃなく、さまざまな現実や苦しみを伴うものです。
結婚生活でのいろんな経験を通じて、人として、そして僧侶としてレベルアップできます。
結婚しているからこそ、既婚者の気持ちがよく理解できて、それをふまえた布教ができるんです。
ですから、僕の個人的な意見としては、自分自身の悟りからは少し遠のくかもしれませんが、人の気持ちに寄り添った布教をするために、お坊さんは結婚をしておくべきだと思います。
以上、既婚僧侶の言い訳でした。
※こちらの言い訳も読んでみてください。