えっ、使い方が違うの!?『金輪際(こんりんざい)』の本当の意味

当サイトでは記事内に広告を含む場合があります。
金輪際の本当の意味

私たちはときどき『金輪際(こんりんざい)』という言葉を使いますよね。

この言葉は、「金輪際○○しない」など強い否定の意思を伝えるときに多く使用します。

『金輪際』は仏教の言葉なのですが、じつは私たちが使っている意味とは少しだけ違うのです。

この記事では【金輪際の本当の意味】を解説しています。

本記事をご参考に、本当の意味の『金輪際』を使ってみてください。

見たいところに飛べる目次

『金輪際』の本当の意味

先日、テレビを観ていると昔のドラマが放送されていました。

そのドラマの中で主人公の男性が意中の女性から「もう金輪際私の前に現れないで!」とこっぴどくフラれるシーンがありました。

これは、「あなたとは今後、一切の関わりを持ちたくない。」ということですから、これを言われた男性は立ち直るのにかなりの時間が必要です。

この『金輪際』というのは仏教における宇宙観を表す言葉です。

仏教では、宇宙空間に『三輪』と呼ばれるとてつもなく大きな3つの輪による三層構造の世界があると考えられています。

例えるなら、三層になっている『パフェ』みたいなイメージです。

三輪の構造は、

  • 上段の層:『金輪』
  • 中段の層:『水輪』
  • 下段の層:『風輪』

となっており、さらに『金輪』の上に海や大地があると考えられています。

つまり、私たちは『金輪』の上で生きているわけです。

そして、『金輪』と『水輪』の層の境目を【金輪の際】つまり『金輪際』といいます。

じつは、金輪際という言葉は『金輪の際にたどり着くまで』という意味であり、

  • 底のさらに底
  • とことんまで
  • 徹底的に

といったような【物事の極限】を表す言葉です。

例えば「金輪際までやり抜く覚悟です」のように、物事の最終までというニュアンスで使用するのが本来の『金輪際』です。

なので、私たちは『金輪際』という言葉を強い否定の意思を伝えるときに使用しますが、本来の使い方はそうではないのです。

なぜ『金輪際』が強い否定の意味になった?

なぜ現在では『金輪際』を強い否定の意味で使っているのでしょうか。

じつは、遣唐使として唐に渡った日本の僧侶が、現地で「金輪斎一切不可」という看板を見たため、その否定的な意味のまま日本に広めてしまったとされています。

この当時、唐には『金輪斎』という名前の有名な拳法の使い手がいました。

彼は非常に強かったため、各道場は道場破りをされないために、あらかじめ「金輪斎一切不可」という看板を立てて道場へ入らないようにしておいたのです。

これを日本の僧侶が見て、そのまま《否定的な意味》として誤解したまま広めてしまったわけです。

また、『金輪際』が強い否定の意味で使用されるのには、その言葉の持つスケールの大きさも影響しています。

仏教では地上から金輪際までは数百万kmあると考えています。

それくらい壮大なスケールの言葉を用いることで「断じて◯◯しない」という強固な否定の意思を表現したのです。

まとめ

『金輪際』という言葉は本来、

  • 底のさらに底
  • とことんまで
  • 徹底的に

など【物事の極限】を意味するものです。

現在のように強い否定の意思を意味するようになったのは、

  • 日本の僧侶が「金輪斎一切不可」を見て、誤解した意味を伝えた。
  • 壮大なスケールの言葉を用いることで強固な否定の意思を表現した。

という理由です。

言葉の使い方は少しずつ変化していきますので、意味が通じるように時代に応じた使い方をする必要があります。

しかし、本来の意味を知っておくことで、『金輪際』のように言葉の重みや深さを感じることができるでしょう。

※こちらの記事も読んでみてください。

【皮肉】という日本語は、じつは仏教の言葉が由来だった

見たいところに飛べる目次